🟩私には3人の兄と1人の姉がいます。
2番目の兄の反抗期がすさまじく、中2から始まり、こじれにこじれて37才で暴れるのを止めるまで、24年間、反抗期をやっていました。これって「反抗期」って言えるのかなー? まあ、いいや(笑)
「中2」って、心は子供から大人への階段を上り始め、
部活での小学校では意識しなかった「先輩・後輩」なんていう新しい人間関係を学びつつ、
勉強も難しくなっていき、成績に順位が付くようになって、先生も親も本人も成績を意識し始め、更に「高校受験」なんてワードも出て来るようになり、
子供には多くの新しいストレスが急に降りかかってくる時期だなと思います。
本人に何か自信が持てるものがあったり、部活が好きだったり、何か好きな趣味があったり、何か目標でもあると、ストレスも少しやわらぐのかもしれませんが、子供も子供なりに大変な時期だったりします。
🟩我が家の場合は兄の反抗に対して、祖父母もお手上げ、他の兄達の努力も空しく、母は泣いたりオロオロするばかり。
父はこんな家庭が嫌になり、毎日のように夜な夜な飲み屋街に繰り出し、深夜の帰宅。私が寝る時間には家にいなかったのに、朝にはいる。仕事に出たら深夜まで帰って来ないという。
たまに父が家で夕食を食べているのを見ると「今日はウチで食べるんだなー」と思っていました。しかし、夕飯を食べ終わった後に、いつの間にか…いなくなったりしていて、まるで忍者のようでした(笑)
しかし、毎日がこんな殺伐とした我が家庭でしたが、
家族みんなが不在の時に、父と母が楽しそうに「キャッキャ!」と2人で笑っているのを、私がたまたま垣間見たことがあり、とても嬉しかったのを覚えています。
「こんな部分もあるのだなー、良かった~」と安心したのです。
🟩さて、兄と私は年令が離れており、兄の反抗期が始まった時、私はとても小さくて、兄が暴れても呆然と見ているか or 逃げる事しかできませんでした。
しかし、時が過ぎ、大人に近付くに連れて、私は徐々に口で兄に反撃するようになっていったのです。
そしてある日、今まで私にはあまり手を出してこなかった兄が、「この野郎!」という形相で右手をグーにして、多少の力加減をしながらも、何度か私の頬にグーを当ててきました。
そこで、私はとっさに反撃。 兄の顔の真ん中を、爪で引っ掻きました。結果、兄の鼻に3本線が。
その日、一旦その騒動が収まった後、兄は鼻の3本の傷に沿ってバンドエイドを3枚貼った顔で来て、「飲めよ」…と、1杯のコーヒーを置いて、すぐに部屋を出て行きました。
暴れた後に兄が初めてこんな事をしたのです。前代未聞! 家族は今まで誰も兄に手を出すような反撃をしなかったので、初めての反撃が年の離れた妹の私。ちょっと驚いたかもしれません。
その時、私は「何かが兄の心に刺さったのかな?これで彼の中で何かが変わるといいな」と思いました。
実際その後、兄が暴れて私と揉み合いになる事はあっても、二度と私の顔にグーパンチをする事はありませんでした。引っ掻いた事が良かったのかどうかは今も分かりませんが。
🟩でも、実は2番目の兄は、すごく優しい所があり、寂しがり屋さん。家族の為に一生懸命に頑張る所がある人なんです。
ただ、ちょっと困った事もあって(笑)
「あの時、俺がお前にやってやった」とか「買ってやったよな」とか「あれは高かったんだ」などと、兄は何度も人前で自分の功績を言わなければ気が済まない性格で(笑)、
「これを言わないと良いのになー。惜しいよなー」と私はいつも思っていました。
また、2番目の兄は「母の一番のお気に入りだったのになー」という但し書きも付きます。
母は、自分と感性や感覚、価値観などが似ている2番目の兄を終生、頼りにしていたし大好きでした。
「おふくろ!今度ここに行って◯◯しない?」という突飛な提案に「うんうん!いいね!いいね!行こう!」とガチ乗りできる所が似た者同士でした。
そして、2番目の兄は、母の実の弟達に趣味趣向、笑い方までソックリだったので、実家大好きな母が、2番目の兄に自分の実家の遺伝子を感じていたのかもしれません。
2番目の兄の話をしている時の母は、実に嬉しそうで楽しそうで、彼に向ける笑顔が他の兄弟のそれとは違うものでした。
そういう意味では、2番目の兄は母をとても幸せにしていたと思います。
しかし、自他共に認める「母は兄弟の中で自分のことが一番好きだ」という事実は、反抗期を止める手段にはならなかった事が、今も不思議な部分です。
🟩そして!ついに!兄が暴れるのをキッパリやめる時がきました!その時、兄は37才になっていました。何故、やめたか?・・・私に子供が生まれたからです。
子供が生まれて、しばらく経ったある日、
兄が私に「オレ、暴れるの、やめたの、気付いてた?」と聞いてきました。
私「うーん、そう?」
兄「理央(私の長男)が生まれてから、オレ、一回も暴れてない!」
私「あー、そうかもね」
兄「理央に暴れてる所、見せたくないから止めたんだ」
私「そうなんだー」
長い間、暴れて家族に迷惑を掛けていたのに、この台詞。思う所は色々ありますが(笑)、それより…
子供の力って凄いです! 何事にも変化する為には、何かのキッカケって必要なのかもしれません。
それが兄の場合、甥っ子だったというだけで。長年、誰にも止められなかったものを、一人の赤ちゃんの誕生で止めたという事実。赤ちゃんには、そんな力があるみたいです。
ただ、これが自分の子供ではなくて「甥っ子だった」というのが、逆に良く働いたのかな?と思います。甥っ子だと、時々会って、可愛くて良い部分しか見ないで済みますから。
世話もしなくて良いし、泣いたら、私に渡せばいいし。第三者として、可愛い部分だけ見ていられるから、それが良かったのかなって思います。
もう一つ、甥っ子で良かった点は、1年を通して何度も会える距離に住んでいたからかな?とも思います。1年に何度も会うから、「暴れるのを見られたくない」と思えたのかもしれません。
🟩さて、こんな兄を見て育ってきたので、私は子供を育てている時「将来、自分の子供が反抗期になっても私は負けないぞ!」と思っていましたが、幸運にもウチの子達は兄のような反抗期にはなりませんでした。それは兄の経験のお陰かもしれないです。
・・・何はともあれ、兄の反抗期の話は、甥っ子の誕生で兄が暴れなくなり、更に私の子育ての教訓にもなったという、まあまあハッピーエンドなお話になりました。
どんな事も悪い事ばかりではないのかもしれません。
今回は「世の中には、こんな家庭もあるよ」という、なんて事ない一つの事例です。
どのご家庭も、反抗期はなるべく最小限で済みますように。
★Thanks
❖私がペンネームとして名前を借りている「南々斗お兄ちゃん」は、優しい三番目のお兄ちゃんです。
Profile
Nanato
こんにちは。ナナトです。
このBlogは”子供”と“ペット”の面白くて楽しかった話をメインに書いています。
子供を育てることは、一筋縄ではいかないことであり、かと言って「ペットを飼うのはラクか?」と言えば、いえいえ、子育てとはまた違う悩みがあったりもします。
しかし、過ぎてみれば、悩んだ事も苦しかった事も、俯瞰で見ることができるようになり、だからこそ、逆に今、面白くて楽しかったことをポンポン思い出すようになりました。そのプラスの思い出話をここに書いています。また、子育て中に悩んだこと、ペットと暮らす中で困った事なども織り交ぜて。
“日々想うこと”のタグは、私が「ふと思ったこと」を書く日記風。
“English”のタグには、初級者レベルをユルユルで勉強しているので、日常で使えそうだったり「これ、忘れたくないな!」と思った文章を書き留めています。
ペンネームの“ナナト”は、空の彼方に旅立って行ったお兄ちゃんの名前を借りました。
お兄ちゃん、見てくれているかなー。
南々斗